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糸の神様
糸の神様だけが編める「逆ねん糸」
たびっこを語る上で、絶対かかせないポイントが【糸】です。
逆ねん糸と言うすべらないこの糸を編むことができるのは、世界中でたった一人、
竹野さんだけなのです。
現在、この糸を生み出してから20年以上の歳月が流れ、特許は切れてしまいました。
しかし、この技法の難しさから、未だに誰も真似ていません。
そんな糸を編みだした職人さんの素顔にせまってみました。

泉南が生んだ糸の神様
職人である、竹野さんは昭和7年生まれの男性で、機械いじりが大好きな子供でした。
まだ戦争中で食べるものが満足に得られなかった幼い頃、兄弟の中で1番年上だった竹野さんは、
弟や家族のみんながちゃんと食べているかなどに気を配る、とても心の優しい少年でした。
その少年が成長し、小学校5年生になると近所の壊れたミシンを直すようになり、
ますます機械いじりが好きになっていったのです。
それから少年は成長し、高校に進学する年になり、当時非常に人気の高かった紡織科のある高校へ進学し、
この時から竹野さんと糸とのお付き合いが始まったのです。
竹野さん
糸の神様 竹野さん
コツコツと真面目に勉強し、竹野さんはある紡績会社に就職をしました。
そこでは、仕事を始めて3年目には何と工場長にまでなるのです。
しかもその職場では、少年のころから大好きであった、「機械いじり」の
技術が非常に役立ったのです。
竹野さんは、そこに置いてあった機械を、よりよく糸が編めるように改造し、
生産効率を高めることに成功しました。
(生産高で日本一にまで上り詰めたそうです。)
そういった実績から、竹野さんは【糸の神様】と呼ばれるようになりました。
17年工場努めを続けた、糸の神様竹野さんは、35歳の時に独立することを考えました。

糸の神様の悩み
独立しようと思った糸の神様には悩みがあったのです。
仕事をしていた工場の環境は過酷なものでした。
真夏にとある人々が、涼を求めて工場に立ち入ろうとした瞬間、すぐにその場を去っていきました。
と言うのも、当時クーラーなどの設備が整っていなかったので、工場内の温度は40℃以上もあったそうです。
そんな暑い中仕事をしていた竹野さんは、水虫ができてしまいました。
そこで、竹野さんは、

「今度はこの水虫とサヨナラできる靴下を作れないか考えてみよう。」

と思い、独立へと踏み切りました。
竹野さんは、とにかく指がかゆかったそうです。
通勤途中の電車の中でも、かゆさに耐えきれず

「何か刺激が与えられると少しはマシになるのではないか?」

と思った所から、強い糸の開発を思いつきました。

糸の開発と苦労
丈夫で良い糸を作ろうと乗り出した糸の開発ですが、最初は全くうまくいきませんでした。
ただ単に糸を開発するところはスムーズにいきましたが、その糸を束ねて、靴下を編む糸にする時や、
束ねた糸を使って靴下を編みあげる際に、機械が壊れてしまうのです。
通常の糸と違いとても丈夫なので、編みあげようとすると、機械が止まってしまったり針が折れてしまったり、
なかなか上手くいきませんでした。
最初、外の工場に編みあげる作業を依頼していました。

苦労の末誕生した「逆ねん糸」
しかし、あまりの難しさに依頼先は全てさじを投げてしまい、結局竹野さん自身が
編みあげることになったのです。
自分で編みあげる機械を購入し、試行錯誤を繰り返すものの、依頼した業者同様
うまくいきませんでした。
しかし、職人さんである竹野さんは、諦めることなく研究を重ね、ついにすべらない糸「逆ねん糸」で編んだ靴下を作ることに成功したのです。

↓こんな感じで「足袋っ子」は作られています。<動画>


結果と体験談
出来上がった靴下を竹野さんは履きだしたところ、かゆみが気にならなくなりました。
しかし、自分でも「まさか靴下を履いただけで・・・」と不思議に思っていたそうです。
そこで、知人・友人にもこの靴下をプレゼントし、多くの体験談をもらった結果、この『すべらない糸で作った靴下』と
人の健康には深い関係があることがわかったのです。
多くの人の体験談や、自らの体験から、竹野さんは、自分が5年という歳月をかけて作りだした「逆ねん糸」を
使って作る靴下を胸を張って販売できるようになったのです。
竹野さんが苦労の末に作りだした靴下は、悩みを抱えている多くの方を支え続け、愛されています。
もしかすると、明日はアナタがこの靴下を愛する日かもしれません。